斜めから見たバットマン像
バットマンと言えば、ヒーローを思い浮かべる人は多いはずだろう。
しかし、現実的に考えると警察からも認められ、国民的な人気者で悪を打ち砕くというものには様々な疑念が浮かぶ。
たとえば、
悪であれば警察のバッジが無くても人を殴っていいのか?
街を守るヒーローと言えばどんなことをしても許されるのか?
その疑念を見事に定説として挙げてくれた作品がこの『ホワイトナイト』だ。
物語は、ある夜バットマンがジョーカーに必要以上に暴行し、その動画が流出するところから始まる。
まるで、今流行りのリーク映像のよう。
そこでバットマンに飲まされた薬が、ある意味悪く効いてしまい、ジョーカーは普通の人間に戻るのだ。
そして、ゴッサムの人達にバットマンの疑念部分をズバズバ言い始める。
ここで、引き込まれるのが、ジョーカーの言うことにも一理あるということだ。
彼の言うことに間違いはなかった。
しかしながら、彼はジョーカー。
なのにも関わらず、ジョーカーの発言は皆の心を掴んでしまう。
まさにこれこそ今の社会そのものだろうと感じる。
近年、自分の意見を持たずに周りに流される若者が多いことを示唆しているのかもしれない。
バットマンがダークナイトならば、ジョーカーはホワイトナイトと自ら名乗る場面はショッキングであった。
バットマン=善という定義はここで完全に崩れてしまう。
やはりヒーローという定義は常にグレーなラインである。
誰かにとってはヒーローであり、誰かにとってはヴィランということが、正しいのかそこを考え感じさせてくれるのがDC。
ヒーローではなくヴィランを多く描くティム・バートンの映画バットマンシリーズはまた違う考えではあるものの、DCはこのようにヒーローを明るく描かないことにとても魅力がある。
2019年には悪であるジョーカーを主人公とした『ジョーカー』が公開。
人気は爆破し、コミックス映画として快挙を成し得た。
話を戻すが、
読んでいくと更なる人間の内なる思いが数々出てくる本作。
ハーレイクインの本当の思い。
ブルースの葛藤。
Mr.フリーズとウェイン家の関係。
等のことが様々出てくる。
最終的なまとめはかなり説明的なストーリー構成になってしまったのは残念だったが、ブルースが正直にならなくてはならない行動は、まさに現代は如何にウソがまみれた世界で、全ては目で見なくては信用できないことが今の社会に対して皮肉的に描かれていると感じた。
何が善で何が悪かは人それぞれあるかもしれないが、何を信じるかはその人自身考えなくてはならないことだと、思わせてくれた作品であった。
ファンサービス
長々と書いた後で、ファンサービスポイントだけ言わせてほしい。
バットマンと言えばバットモービルを連想する人も少なくないはず。
今作にはそのバットモービルが何台も登場する。
しかも、ドラマ、映画、アニメ、コミックスと今まで見たことある車両が全て登場するのだ。
これは、一番ウキウキした部分だった。
どのようにして全車両を使うのかは実際に読んでみてほしい。
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